『モアナと伝説の海』は主題歌と海の映像美に没頭したい作品

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新人ながら声優に抜擢された屋比久知奈さんと加藤ミリヤさんの歌う壮大な主題歌が耳に残る話題作、「モアナと伝説の海/(原題)Moana」。個人的には主題歌の「どこまでも〜How Far I’ll Go」の良さは鑑賞前の段階から言わずもがなだったんですが、スクリーンの中で力強く歌うモアナの姿と重ねて改めてこの主題歌を聴くことで、曲の良さがさらに完成された感じがしましたなぁ。「君の名は。」でのRADWIMPS「前前前世」もそうでしたが、音楽とストーリーを伴った映像の重ね合わせたときの魅力って、それぞれが別である時の魅力の何倍も大きくなるものですね、ホントに。

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モアナと伝説の海の感想

映像美6・主題歌3・ストーリー1

モアナと伝説の海の魅力とそれぞれの割合の合計を10として表してみると、個人的には「CGの海の映像の綺麗さ6割、主題歌の良さ3割、ストーリーが1割」という感じ。

まず、CGで描かれた海の映像の美しさには文字通り息を呑みましたね〜あれは凄い。あの美しい映像を映画館の大スクリーン+ハイスペック音響で見るだけでも、チケットを買って映画館に足を運ぶ価値がある気がします。最近の映像技術の進歩って凄まじいですね。

そしてやっぱり、主題歌がイイ。最高にイイ。曲も歌詞も打楽器の音が印象的なアレンジも重なって、最高に耳と記憶に残る主題歌に仕上がっている感じがしました。

興味深かったのは、映画の中でモアナが何度も繰り返し主題歌を歌うシーンが描かれていたこと。しかも、ストーリーの展開に合わせて歌詞が変わっていたみたいなんですよね。僕は細かな歌詞の内容までは追えなかったんですけど。ディスニー作品の主題歌って途中に挿入歌として大事なシーンで一度歌われるだけという場合がほとんどだったと思うんですけど、モアナと伝説の海ではそこの縛りを無くしたことで、主題歌のインパクトが他作品よりも何倍も大きく記憶に残った感じがしましたなぁ。その影響からか、映画を見た後にもCMや街中で主題歌の「どこまでも~How Far I’ll Go」を耳にすると、船に乗るモアナとそこに重なる先祖たちの影が重なるあのシーンが、頭の中に自然と何度もフラッシュバックしたり。

屋比久知奈さんver

加藤ミリヤさんver

主題歌を歌詞を変えて繰り返す作戦、良いですね。

でも、最近のディズニーってなんで主題歌をメインの声優さん+違うアーティストで2パターン作るんだろか。アナ雪も松たか子さん+May.Jさんでしたもんね。ちなみにモアナに関してはお二人verともそれぞれ良さがあって、個人的にはどちらも良きですなぁ。

ストーリーは自己啓発?ともとれるかも

恋愛ではなく世界を救うことが目的のストーリーの新しさが話題のこの作品なんですが、個人的にはこの作品ってこういう捉え方もできるのかな?と考えてたり。モアナのストーリーを簡単にざっと振り返ってみると、

モアナ「サンゴ礁を超えて海の向こうにある世界を見に行く旅人になりたい」

お父さん「海、危険やからあかん。やし、おまえは村の村長になるんや」

〜村が危機的な状況になる〜

タラおばあ「モアナは海に選ばれた。マウイと一緒にテフティに心を返しにおいき」

モアナ「いく!(本当は旅をしたいけど、まずは心を返しに行くっていう体(テイ)で海に出たい」

〜海での危機的トラブルたくさん〜

モアナ「(海しんどい…拗らせマウイ非協力的なんやこいつ…そして私は何がしたいんや…)

タラおばあの霊体「先祖が勇気だして海を渡って旅したから今の村があるんやで。自分のやりたいことやったらええんやで」

モアナ「よっしゃとりあえず心返して旅に出ること認めさせたるわ!」

という感じ。つまり、「自分のやりたい事をしたいならまずは与えられた仕事をきっちり成し遂げて実績作ってから説得するとイイよ!」というあたりの流れが、これから社会に出て働くであろう若者に向けてのメッセージでもあるのかな?と。

「海を旅したい!」という壮大な目的達成のためには、まずは「海に出て村を救う」っていう、ステップ1をしっかりと成し遂げることが大事なのかもしれませんな。

自分に自信のない若者が度重なる自己分析を経て自立するまで

あと見方によっては、最近の先進国の人々の悩みにありがちな「なんで自分は今の仕事をしてるのか?自分は何のために生きているのか?」っていう、自分の存在意義を見失いがちな人の自己分析と自己啓発を描いた内容ともとれる気もしました。

何度も繰り返されて印象深かったのは、「先祖は◯◯をした」という過去の回想シーン。ディズニー作品で同じ時間軸に存在しない過去の人物をあそこまで具体的に描かれた事って、今までにはほとんど見たことが無い気がします(※ディスニー作品を全てチェックしてはいないのでもしあったらすみませぬ)。描かれている先祖たちはモアナの妄想の延長の姿ながら、先祖が壮大に船出するシーンが何回も登場してましたもんね。

モアナは村の誰よりも好奇心旺盛でありつつも、一方で、「なぜ自分は海に選ばれたのか?」という部分の決定的な理由が分からない。悩んでも答えの出ない感覚になかなか自信が持てず、自分のことを、物語前半では敢えて「”モトゥヌイの”モアナ」と村の名前を頭につけて名乗ることで、何とか自分の存在意義を保っていた感じがしました。そのままはっきりとした答えが見つからないモヤモヤを抱えながら旅をする中で、過去に自分たちの先祖が成し遂げた海を渡る旅が人々の生活にもたらした影響力の大きさ、海を渡った勇気や覚悟の偉大さを理解するにつれて、”マウイがテフティから奪ったテフティの心を返す”ということには、それ自体に大きな意味があるということに気付き、堂々と「私はモアナ」と名乗るように変化していく。この変化の過程って、ディスニー作品の中でも新しい気がしました。

ディズニープリンセスって、自分のしたい事やりたい事が元々明確にあって、今まではその背中を押してくれるのが王子様だったりプリンス役のメンズだったりすることが多かった気がします。でも今作ではモアナは終始自分探しと自己分析を繰り返していて、ダメ英雄のマウイを鼓舞しつつ、自分自身ができること、自分が目指すべき姿の外殻をちょっとずつ形作って行った感じがしていて。アナ雪よりもラプンツェルやムーラン的な、意思を持った女性の強さと美しさを感じさせられましたなぁ。

ディズニー・ヴィランズの役割の大きさに改めて気づく

モアナと伝説の海って良くいうと、ストーリーが大きく二転三転する事もなく、ただただ無心で素晴らしい音楽と息を呑むほどに美しい海のCG描写とゴールまで迷う事なく展開するストーリーに身をまかせる事ができる、素直な映画だと思うんですよね。

でも一つだけ欲を言えば、ストーリー中の登場人物がほとんどモアナとマウイの二人のみで、人と人との考え方や感情むき出しのやりとりが少ないあたりに、ちょっとばかりの物足りなさを感じるかもなぁと。

そう考えるとアレですね。この映画にどこか物足りなさを感じた原因は、いつもはディズニー作品のヴィラン役から受け取るはずの壮大な野望や剥き出しの欲望描写を誰からも感じないからかもしれません。ファンキーなカニのタマトアは、ヴィランというより”ナルシストでひょうきんなヤツ”止まりという感じだし、テ・カァは喋らないので一体何考えてモアナとマウイの邪魔をしてるんだかイマイチ分からないですしね(テ・カァは心を返して欲しかったはずなのに、心を返しにきてくれたモアナを攻撃していたのは何故なんでしょかね)。

そう考えると、物語というものは”偉大なる悪”あってこそ、より一層、正義の意味合いが明確になるものだなぁと改めて思いますし、彼らヴィランズが考えていること・やってる事は倫理的には決してよろしくない事ばかりなのに、一般的にヴィランズがファンからそこそこ人気があるということはつまり、ヴィランズが持つ「本能のままに目的に向かって突き進む意志の強さ」にヒトはどこか惹かれる部分もあるんだろうなぁとも思うし、誤解を恐れずに言うと、欲望をありのまま表現したストレートな感情を表現することってそれはそれで一つの魅力にもなるんだなぁと。

良い作品に必要な要素って、「愛」以上に「(良い意味での)悪」なのかもしれませんな。

まとめ

どちらかというとストーリーの奥深さよりも、CG映像の美しさと主題歌の壮大さを楽しみたい方にオススメの作品。あれはぜひとも映画館の大スクリーン+最先端音響にて体感していただきたいですね〜

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